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専門用語解説

基準振動

1. 基準振動

分子内の振動は、原子(N個)の運動の自由度(3N)を、並進(Tx, Ty, Tz)、回転(Rx, Ry, Rz)と共に構成する。振動の自由度(独立な振動の数)は、3N-6個(直線分子では、回転の自由度が2個なので 3N-5個)である。複数の原子から成る分子の振動(平衡位置を変えない原子の変位が複合したもの)は、相互に重なり合うが、原理的に相互に独立であるように、上手く原子の変位を重ね合わせるように選ぶことができる。例えば、水分子の3つの振動(3x3-6=3)は、2本のO-H伸縮振動が、同じ位相で振動する対称伸縮振動、逆位相で振動する反対称伸縮振動、H-O-Hの対称変角振動である。これらは相互に独立である。このことは、①水分子のC2v点群の異なる既約表現に属すること、及び②大きく異なるエネルギーを持つことで担保される。

参考文献:(1)水島三一郎、島内武彦「赤外線吸収とラマン効果」(共立全書129)、(2)中川一朗「ラマン分光法」(学会出版センター 1990).

2. 赤外吸収の量子論

分子に電磁波が照射されると、分子内の電子・原子核は、それぞれ電荷をもつために、入射光電磁場と相互作用する。このとき、可視光では電磁波の波長(400-700 nm)は、分子や原子のサイズ(0.1-1 nm)に比べて著しく大きいので、分子内部には同じ位相の交流電磁場(振動数ν=c/λ=10¹  -10¹  Hz)が入射したものとみなせる(時間には依存するが空間的には一定)。このような外部摂動場H’があるとき、時間に依存する摂動論に基づき、量子数n→mへの励起確率は|<m|H’|n>|²に比例する。H’を古典電磁学で表示し、量子力学的に書き換えると、H’∝Aj ・ ▽j=Aj(∂/∂x)→Aj <m|∂/∂xj |n>=Aj ・<m|xj |n>となる。これにより、光吸収は、電子状態であれ、振動状態であれ双極子遷移で示すことができる。

赤外吸収では、赤外光のエネルギーを吸収して、分子の振動準位間の吸収遷移Xmn=<m|μx  |n>が起きる。このとき、電子の質量は原子核に比べて約1/2000なので、電子遷移が起きる際、原子核の位置は近似的に固定されていると考えてよい。そのため、電子の波動関数と原子振動の波動関数を分離することができ、μx  =<ΨE⁰*|μx|ΨE⁰>である。μx =( μx )⁰+(∂μx  /∂q)⁰q+(1/2) (∂²μx /∂q²)⁰q²+….となり、第2項まで取ると、Xmn=(μx )⁰   +(∂μx /∂q)⁰<m|q|n>+…となる。第1項は永久双極子なので無視して、第2項は、n→mの振動遷移に相当する。m=n±1のみゼロでない。このとき、(∂μx /∂q)⁰≠0である。

参考文献:(2)中川一朗「振動分光法」学会出版センター (1990).

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3. ラマン散乱の量子論

参考文献:(3a)濱口宏夫・岩田耕一「ラマン分光法」講談社サイエンティフィック, (3b) D. A. Long, “The Raman Effect”, Wiley 2002.

4. 散乱断面積

試料の単位面積当たり(例えばcm²)、単位強度の光(I=1)が照射した時に、その光により吸収・放射あるいは散乱(吸収+放射)される過程が起きる確率を、試料の面積で表示するもの。例えば、試料中のすべての分子が光過程を起こす場合、(1/1個の分子の占有面積=10⁻¹ -10⁻¹   cm²)となる。実際に、分子の吸収、蛍光の断面積=10⁻¹ ~10⁻¹   、赤外吸収~10⁻²   、ラマン散乱断面積~10⁻²    -10⁻³    であり、ラマン散乱がいかに弱いかがわかる。

参考文献:(4a)濱口宏夫・岩田耕一「ラマン分光法」講談社サイエンティフィック, (4b)ラウドン「光の量子論 第2版」内田老鶴圃新社.

赤外吸収の量子論
ラマン散乱の量子論
散乱断面積
局在表面プラズモン

5. 局在表面プラズモン(localized surface plasmon, LSP)

金属ナノ粒子に、式5.1で分母を最小にする共鳴波長の光を照射すると、ナノ粒子内の電子が共鳴的に振動する。そのとき、光の電場方向の粒子表面に負電荷及び反対側表面に正電荷が生じ、双極子・多極子が誘起される[10a-10b]。粒子に対する光照射時の詳細な電磁場は、Mie散乱理論により表式される[10c]。この双極子(多極子)は、入射光の周波数で振動するので、古典電磁気学に従い、式10.1で与えられる近接電場及び遠方に伝わる電場―すなわち、エバネッセント波と伝搬光―が形成される。このとき、1個の金属ナノ粒子表面近傍に形成されるエバネッセント波の大きさは、入射光よりも100倍程度大きい。さらに、金属ナノ粒子が近接すると、ナノ粒子のLSPがカップリングし、粒子間ナノギャップに10⁴-10⁶倍の増強電場が形成される。

参考文献:(10a)岡本隆之、梶川浩太郎著, “プラズモニクス”, 講談社, 2010年. (10b)梶川浩太郎、岡本隆之、高原淳一、岡本晃一著, ”アクティブ・プラズモニクス”, コロナ社 2013年,  c) (Born-Wolf「光学の原理」)

6. 伝搬性表面プラズモン(propagating surface plasmon, PSP)

 金属基板に光照射しても、光は金属内部には入らない。これは、電子の応答が速いためである。しかし、ガラスなどの高屈折率媒質上に形成した金属薄膜に、ガラス側から全反射条件下で、適切な入射角(共鳴角)で、p-偏光を照射すると、反射率にdipが観測される。このとき、ガラス媒質/金属薄膜界面あるいは金属薄膜/空気界面で、PSPが励起される。PSPは、入射角が全反射の臨界角を超えた共鳴角で光照射したとき、式6.1に従い、金属薄膜表面に平行なx, y方向の波数ベクトルが、入射光の波数ベクトルの大きさを上回る結果、金属薄膜表面に垂直なz方向の波数ベクトル(k)が虚数となる。このとき、z方向の電場は金属薄膜/空気界面から空気側に急速に減衰し、伝搬しない。一方、薄膜表面に平行な波数ベクトル成分k//は、界面を伝搬する粗密波の波数ベクトルに一致する(Fig. 6)。すなわちPSPの分散曲線と、プリズム側から入射した光の分散曲線が交差する点(共鳴角)で、入射光とPSPのエネルギーと運動量が一致するので、光によりPSPが励起される。

一方で、平滑な金属基板表面近傍に蛍光色素分子や(非)金属ナノ粒子が存在するとき、光照射でこれらのナノ構造体に大きな振動双極子が生成されるとき、伝搬光とともに形成されるナノ構造体近傍に局在するエバネッセント波は、金属表面のPSPを励起できる(専門用語8, 10参照)。

参考文献:(6a)岡本隆之、梶川浩太郎著, “プラズモニクス”, 講談社, 2010年. (6b) 梶川浩太郎、岡本隆之、高原淳一、岡本晃一著, ”アクティブ・プラズモニクス”, コロナ社 2013年. (6c) H. Raether, ”Surface Plasmons on Smooth and Rough Surfaces and on Gratings”, Springer, 1988

伝搬性表面プラズモン

7. 電荷を帯びたナノ粒子間の相互作用と孤立・近接・凝集状態

溶液中に分散したナノ粒子間に働く相互作用は、ナノ粒子を構成する原子間のvan der Waals引力と、溶液中に存在するナノ粒子表面電荷の対イオンが形成する電気二重層間の反発力の総和である[7a, 7b]。相互作用ポテンシャルで表すと、下記の式のようになる。もしナノ粒子表面電荷がなければ、van der Waals引力のみとなるために、ナノ粒子はすぐに凝集・沈殿する。静電反発力は、ナノ粒子が凝集することを抑制する。これらの総和としての相互作用は、図7に模式的に示すように、孤立粒子が近接・凝集するには、エネルギー障壁(Eb)を有する。Eb>10kTのとき、熱エネルギーで障壁を超える確率は低く、ナノ粒子は孤立安定する。溶液中に塩を加えると、対イオン濃度が増加するために、表面電荷を一部打ち消すとともに、ナノ粒子表面付近の対イオン濃度が増加することで、表面ポテンシャルが、低イオン濃度に比べて、より早く減衰する(図7挿入図)。その結果エネルギー障壁が下がり、熱エネルギーで超えられるようになる。塩濃度を制御すると、このエネルギー障壁と熱エネルギーの関係を制御することができ、数個程度のナノ粒子が近接し、すぐには凝集しない状態(flocculates)を形成することができる。もし金ナノ粒子や銀ナノ粒子を用いて近接状態を形成すると、個々の粒子の局在表面プラズモン(LSP)がカップリングし、粒子間のナノギャップに10⁴ -10⁵倍の巨大な電場が形成される。もし、ナノ粒子表面に分析対象化学種が存在するとき、そのラマン散乱信号光の強度を10⁸-10¹倍増強できる。これに対して、凝集したナノ粒子では、一部が融着しデンドライト的な構造体を作るために、効率的なナノギャップの形成ができないことや一部の吸着種の脱離を生じるため、定量的な分析には適していない。そのため、以下に近接状態を形成するかが、flocculation-SERS法ではきわめて重要である。ギャップモード配置で、分析対象化学種が電荷を持っており、同じく電荷を持ったナノ粒子を固定する場合、同様の表面間力が働くので、イオン強度やpHの制御が必要となる。

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金属ナノ粒子(半径r=r1, r2)間の相互作用(Vtotal = Vvdw + Velec)[7a, 7b]は、van der Waalsポテンシャル(Vvdw)とクーロンポテンシャル(Velec)の和として、次式で表わされる。




 

 

 

 

 

AH: ハマーカー定数(Au, Agで2×10⁻¹ J), x: ギャップサイズ(=粒子表面間距離), D=r1+r2+x (=粒子間距離, nm), k: Debye-Hückel定数, ε=ε0εr, Ψ0:MNP表面電位(V).

参考文献:  (7a) J.N.イスラエルアチヴィリ著,大島訳,「分子間力と表面力」第2版 (朝倉書店, 1996). (7b) T. Kim, et al., Langmuir 21 (2005) 9525-9528.

ナノ粒子間の相互作用

8. エバネッセント波

 エバネッセント(消衰)波とは、金属ナノ粒子だけでなく、分子を含めてあらゆる物質に光照射したときに、遠方まで伝搬する光(伝搬光)とともに、物質の極近傍に形成される伝搬しない電場である(Eq. 8-1)[8a-8c]。これは、電磁気学の教える通り、光照射により物質内に励起される振動双極子や振動多極子が、形成する電磁場として必然的に与えるものである(振動する双極子が生成する電場は、電磁気学の教科書で表式されており、遠方に伝搬する電場と近傍で減衰するエバネッセント波(近接場))。分子や、誘電体でエバネッセント波が問題にならないのは、その大きさが無視できるくらい小さいためである。電気双極子モーメントが、その周囲の空間に作る電場Eは次式であらわされる[8a]。

 

 

 

 

このうち、第1項はkr>>1 (ここで、k=2π/λで波数ベクトルであり、rは双極子からの距離、n=r/|r|)のとき最大となり、双極子に垂直な方向で最大となる遠方への伝搬光を表す。同様に、第3項はkr<<1のとき最大となり、双極子近傍のエバネッセント波(近接場)を表す。このエバネッセント波には、自動的にkp>k0が含まれており、別の個所で説明するように、もし平滑な金属表面が双極子に近接すれば、PSP励起や金属内部へのエネルギー移動(熱損失)が起きる。

金属ナノ粒子では、入射光の強度を1とすると、数10倍の大きさのエバネッセント電場が形成される。このことは、金属ナノ粒子表面に分子が吸着していると、直接光照射する場合に比べて数100倍強い電場(光)を照射した時と同じ状況を与える。つまり、仮に金属ナノ粒子の共鳴波長が振動遷移に近い場合、分子の振動スペクトルが、1光子が関与する赤外吸収では100倍、2光子が関与するラマン散乱が約10⁴倍強く観測されることを意味している。金属ナノ粒子の形状と共鳴波長の関係としては、球状から扁平回転楕円体になるとより長波長に共鳴がシフトすることが知られている。例えば、銀ナノ粒子(rx = rz = 30 nm)の軸比1:1→1:5とすると共鳴波長は、400 nmから800 nmに大きくシフトする。

また、金属ナノ粒子近傍のエバネッセント波は、金属ナノ構造の形状が、シャープなエッジを持つ場合には避雷針効果でエッジに電磁場が集中するため、また金属ナノ粒子が近接する場合は、粒子間の振動電場の干渉により、その粒子間ナノギャップで10⁴-10⁵倍になることが知られている。これらの場合ラマン散乱では10⁸-10¹⁰の信号増強が予想される[8d]。(一方で、無限小に先鋭化したチップ形状では、エネルギー的な不安定性のため、少なくとも室温では安定に存在できない。原子の熱拡散により、より安定ななまった形状に変化する。実際、収束イオンビームで、原子レベルで先鋭化したナノ構造体は、そのまま放置するとなまった形状や、折れ曲がった形状に変化することが知られている。形状形成後、極低温、超高真空中で保存すれば、ある程度の先鋭化形状保持は可能であろうが….)

参考図書:(8a) 大津、小林「近接場光学の基礎」オーム社. (8b)岡本隆之、梶川浩太郎著, “プラズモニクス”, 講談社, 2010年. (8c)梶川浩太郎、岡本隆之、高原淳一、岡本晃一著, ”アクティブ・プラズモニクス”, コロナ社 2013年. (8d) M. Futamata: Faraday Discussions, 132, 45 (2006).

エバネッセント波

9. 固体の誘電分散

金属、非金属を問わず物質に外部電磁場が入射すると、その応答として電流や分極を生じる。分極は一般に振動子を用いたローレンツモデルで説明される(式9.1-9.2)。このとき感受率χ、誘電率ε(=1+χ)はP=cEで表わされるように、入射電磁場に対する応答(分極)を与える。物質内部では、紫外領域から、可視、赤外、マイクロ波領域にかけて、電子分極、イオン(格子振動)分極、(イオンの)配向分極による誘電分散(複素誘電率が波長依存して変化すること)が存在する。そのため、誘電率は入射光波長に依存して変化する。非金属では、どの共鳴の場合でも、共鳴波長より短波長側で、(比)誘電率の実部(ε’)はε' < εb(ω→∞の誘電率εb)の極小値を示した後、共鳴波長でε’=εbとなった後、すぐに正の極大値を示し、その後長波長側で次第に低下する(ε' > εb)傾向を持つ。例えば、シリコンなどの半導体の多くは、紫外領域の電子遷移共鳴を持つために、可視領域から赤外領域まで、ε'~16の大きな値を持つ(Si(15.5), GaAs(15.6), InAs(16))。金属酸化物など非金属の一部でも、可視領域でε'>5となる材料が、AgBr(5.0), C(5.8), SiC(6.9), TiC(10), TiO2(6.8), Fe3O4(5.5), Fe2O3 (10.6), ZnS(5.6), BaTiO3(5.9)など多く存在する。入射電磁場の吸収を与える誘電率の虚部ε”は、上記共鳴波長の周りで、ローレンツ型の正のピークを与える。これに対して、金属(バルク)では自由電子(電流の元)が存在し(ω0=0、式9.3)、その共鳴であるプラズマ振動数ωpが応答を与える(分極)。これは、外部電場で変位した電子が作る電場が復元力となり、自由電子が振動するものである。入射光振動数w> wpのとき、光は金属内部に透過し、電子遷移を引き起こす一方、ω< ωpでは入射光は金属表面でほぼ完全に反射される。

ナノ粒子では、入射光が粒子内部に透過し、Maxwell方程式を満足する境界条件(界面に垂直な電気変位成分が連続、平行な電場成分が連続)に従って、許容されるモード(電磁場の局在化)が存在する(Mie散乱)。局在表面プラズモンは、金属ナノ粒子についてのそうしたモードの一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献: (9a) キッテル「固体物理学入門 第8版」、第14、16章. (9b) H. イバッハ、H. リュート著、石井、木村訳「固体物理学 改訂新版z丸善、第11章. (9c) 江馬一弘著「光物理学の基礎」朝倉書店.第5章、6章. (9d) C. F. Bohren, D. R. Huffman著, “Absorption and Scattering of Light by Small Particles”, John Wiley & Sons, Chap. 4. (9e) 岡本隆之、梶川浩太郎著、「プラズモニクス」丸善, 第6章.

固体の誘電分散

10. 空間分解能の改善

光を用いる限り、回折限界を超えた分解能での分光計測は実現できない。これは、光が波としての性質を持つことから生じる原理的な問題である。例えば、点光源から放射された光をレンズ系で集光する時、無限小の点に集光できず、その周りに強度低下しながら広がったものとなる(Fig. 10)。そのため、2つの近接する光源からの放射光を集光する時、それぞれの光源からの光強度は、最短距離の位置で最大強度を与え、その周りに次第に強度低下しながら広がったものとなる。このため、近接点から放射される光は、ある距離より近づくと、区別が困難となる。この限界距離は、レイリー(Rayleigh)の回折限界と呼ばれ、~l/2であることが示されている。この回折限界は、波長を短くするか、屈折率を大きくすることで改善することは可能である。しかし、それでも1 nmの空間分解能を得ることは波長としてX線を使わない限り困難であり、逆にX線領域の電磁波を効率的に集光する材料はなく、電磁波を用いて原子・分子分解能を得ることは困難である。一方で、電子線を用いると、電子の波長はドブロイの物質波の定義に従い、λ=h/p=h/√(2meV) (ここで、V:加速電圧)なので、原理的には、運動エネルギーを制御することで電子ビームの波長を1 nmにすることは可能であり、電磁レンズにより1 nmに集光することも、SEMやTEMで実現されている。一方で、電子プローブでは、振動スペクトルのような分子の構造の情報を得ることは困難である。そのため、分子の詳しい情報をin situで与える光を用いて、どのようにすれば1 nmの空間分解能が実現できるかが問題である。それには、近接場光学を利用する[10]。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近接場光学は、ナノ構造体に光を照射した時、入射光は吸収、放射、弾性散乱されると同時に、ナノ構造体近傍に、ナノメータの空間分解能で、伝搬しないエバネッセント波(evanescent wave)として局在することを利用する[10a, 10b]。この局在する電磁場は、電磁気学的には、光照射によりナノ構造体内に形成される双極子・多重極子電場が、遠方に伝搬する放射光とともに、ナノ構造体近傍に作る、そのままでは伝搬しない電磁場である。すでに述べたように、このエバネッセント波は、金属ナノ粒子等を用いると入射光電場に比べて10-10⁵倍大きくなる。そのため、ナノ構造体表面付近に吸着種があれば、吸着種の入射光に対する応答がナノメータスケールの空間分解能を持って含まれる。そのままでは信号として取り出すことはできないが、同じナノサイズの構造体が近接すると、双極子・多重極子同士の相互作用により、エバネッセント波が摂動を受け(乱されて)、一部が伝搬光に変換される。この伝搬光を検出すると、元のナノ構造体近傍に形成されていたエバネッセント波を通して、ナノ構造体の入射光に対する応答が検出される。

近接場光学では、ナノメータサイズの試料の近傍に存在する近接電場(エバネッセント波)、あるいは平滑な(金属)基板試料表面近傍のエバネッセント波の一部が、同等の大きさのプローブを近接させることで、伝搬光に変換されることを利用する。このエバネッセント波(|E|²)は、ナノ構造体の表面から指数関数的(1/r⁶)に減衰するので(ほぼ粒子程度の距離で減衰するので)、ナノ構造及びその電子状態(光に対する分極応答)を反映した電場分布を有する。模式的には、ナノ粒子サイズが十分小さいときにその分極電場を1つの双極子で表すことができる。このとき、Eq. 5-1の電場が、双極子(ナノ構造体)近傍に形成される。このナノ粒子試料の近傍に(距離R)、同じくらいの大きさのナノ粒子プローブ(半径ap)を近接させると、下記のように近接電場が伝搬光に変換される。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

となり、プローブで伝搬光に変換されたのは、10.6式右辺第2項である。

これを詳しく解析すると、信号強度はプローブサイズ・プローブ材質(同じサイズなら、10.5式の誘電率項でわかるように、金属の方が誘電体より強い信号を与える)とともに増大するが、空間分解能もプローブサイズに比例することが分かる(プローブを大きくすると双極子の広がりが大きな範囲に及ぶ。そのため、プローブを大きくすると、信号が強くなる一方で、空間分解能が低下する)。

さらに、誘電体ナノ構造に比べて、金属ナノ構造体を用いる付加的な理由は、すでに高感度化の項で示したように、金属ナノ構造は、局在表面プラズモンや伝搬性プラズモン及びギャップモードを通して、大きく増強されたエバネッセント波を与えるためである。これは一般的には正しい。特に金属ナノ粒子をプローブとして用いる場合には、誘電体を用いるときよりもずっと大きな電場増強が与えられる。これに対して、別の項でより詳しくが、いわゆるナノ粒子/吸着種/金属基板のギャップモード配置で、ナノ構造基板上の吸着種のラマンスペクトルの超解像測定をする場合は、金属ナノ粒子プローブを用いる限り、誘電率が媒質に比べて十分大きな基板材料を用いれば、鏡像双極子は十分大きいので、必ずしも金属基板を用いる必要はない(鏡像双極子に関して、金属と非金属で違いはない。どちらも基板内部に鏡像双極子が存在すると考えて、基板の媒質側の電場を表示できる。ただし、金属では基板内部に電場はないが、非金属の場合は電場が存在する違いがある)。

参考文献:(10a)大津、小林「近接場光学の基礎」オーム社.  (10b)S. Kawata and V. Shalaev (Eds.), “Tip-enhancement”, Elsevier 2006.

空間分解の改善

11.非金属ナノ粒子/ナノギャップ/金属基板系でのPSP励起

光照射により、非金属ナノ粒子/媒質界面でのMie許容モード(電気双極子、磁気双極子、多極子モード)の励起が起きる。この励起による電磁場の大きさは、粒子サイズ・ナノ粒子の誘電率とともに増大し、共鳴波長で最大となる。このことは、SiNP系の実験やSiNP/gap/Au基板系のDDA (discrete-dipole-analysis)計算で実証されている[11a]。励起されるMieモードは入射光振動数で振動する電気双極子を形成するので、遠方に伝わる伝搬光(普通の散乱光)とともに、ナノ粒子の近接場光(近接電磁場, ナノ粒子サイズ以下の領域にとどまり、表面からの距離zとともに指数関数的に減衰する, kzが虚数)を生成する。これは、金属表面近傍の蛍光分子からのエネルギー移動によるPSP励起と同様である[11b]。近接場光は、運動量保存則(k0²=kp²+kz²)に従い、伝搬光の波数ベクトルk0よりも大きな、ナノ粒子表面に平行な波数ベクトルkpを持つ。この成分のうち、平滑な金属表面/媒質界面のPSPと同じ運動量を持つ成分kpspが、エネルギーと運動量が保存されるので、PSPを励起できる。同様に、表面粗さや近接場光学用の先鋭化した光ファイバ先端でもPSP励起は可能である[11c]。残念ながら、このことは特に化学の人たちには十分理解されていないようである[11d]。

参考文献 (11a) A. B. Evlyukhin, S. I. Bozhevolnyi, Phys. Rev. B 92, 245419 (2015), A. B. Evlyukhin, S. I. Bozhevolnyi et al. Nano Lett. 2012, 12, 3749-3755. (11b) 梶川浩太郎、岡本隆之、高原淳一、岡本晃一著「アクティブ・プラズモニクス」コロナ社、第5章. (11c) A. V. Zayats, I. I. Smolyaninov, A. A. Maradudin, Physics Reports 408 (2005) 131–314. (11d) L. Li, T. Hutter, A. S. Z. Finhemore, F. Min, J. J. Baumberg, S. R. Elliot, U. Steiner, S. Mahajan, Nano Lett. 2012, 12, 4242-4246.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

  

 

 

 

 

 

            図11a (左) SiNPによるPSP励起,  (右) 種々のPSP励起法 (11c)

ナノギャップでのPSP励起
ラマン散乱スペクトル測定

12.赤外吸収スペクトル測定とラマン散乱スペクトル測定

通常、定常状態の赤外吸収スペクトルは、DTGS及びMCT検出器を設置したフーリエ変換型赤外分光計を用いて、測定される[12]。粉末あるいは溶液、気体状態、表面・界面について、透過、反射配置で、吸収スペクトルが測定される。ラマン散乱スペクトルは、粉末、溶液、気体状態及び表面・界面にレーザ光を照射し、散乱光を対物レンズ等で集光し、エッジフィルタやノッチフィルタによりレイリー光を除去したのち、CCD等のマルチチャンネル検出器を設置したシングル分光器(ポリクロメータ)で分光検出される。高効率検出のためには、ごく微弱なラマン信号光を、顕微鏡等の照射・集光光学系で、できる限り損失することなく分光器に転送し、検出する必要がある。顕微鏡を用いる場合、一般に試料断面積1-10 mm²であり、分光器のF値(f/回折格子口径)に合わせた転送光学系を用いて、入射スリットに結像すると、分光器内部のコリメータ鏡及びカメラ鏡により、1:1程度の大きさで検出器に結像する光学系が使われている。CCD検出器は、最近読み出し時間が無視できるほど速くなったため、共焦点顕微鏡でのラマンイメージング・ラマンスペクトル測定や、近接場ラマンイメージング測定が、効率的に行えるようになった。

参考文献:(12) 実験化学講座第6版「分光法(上・下)」.

赤外吸収スペクトル測定

13.表面増強ラマン散乱(SERS)の測定

通常のラマン分光とSERS測定は、本質的に同じレーザ、光学系及び分光計を用いて行うことができる[13]。顕微鏡下で測定することで、基板表面の金属ナノ粒子の集合状態を弾性散乱スペクトル測定とともに、溶液セルでのナノ粒子の熱拡散、静電引力による基板上への固定ダイナミクスやSERS信号光のblinking (点滅)過程を解析することができる。あるいは、SEMイメージとSERSイメージを対応付けることで、近接金属ナノ粒子のナノスケールでの形状・集合状態とSERS活性の関係を解析することができる。

顕微ラマンでは、

①対物レンズからレーザ光を外部反射または全反射配置で照射し、同じ対物レンズでラマン光を集光する方法と、②通常の焦点距離がやや長いレンズで、外部反射配置で斜め照射し、対物レンズで集光する方法がある。

①は、イメージング等特定の場所にあるナノ構造体のラマン測定に適している一方、過度のレーザ光密度による試料の損傷に注意が必要である。②は、幅広い領域に均一にレーザ光照射し、特定領域からのラマン光を集光する方法であり、外部反射ギャップモード配置で良く用いられる。

参考文献:(13) 実験化学講座第6版「分光法(下)」.

表面増強ラマン散乱の測定

14.ギャップモード(プラズモン)の実験配置

一般的なギャップモードは、金属ナノ粒子/吸着種(ナノギャップ)/金属基板系に、金属ナノ粒子側から光照射(外部反射配置、通常基板法線方向の電場成分を利用するため、

①外部反射条件で、基板法線方向から45°程度傾けて入射)するか(基板に垂直な電場成分が最大となるのは水平入射であるが、増強自身は極端には変わらない。実験的には、ビームの広がり(1/cosq)が、集光レンズのビームウエストより広がると集光効率が悪くなるので、45°は適切な入射角, 図14a)。

②全反射条件(入射角q>qc)で、プリズム状に形成した金属薄膜基板(厚さ40-45 nm)側から、PSP共鳴角で入射する(図14b)。

ギャップモード配置で、ナノギャップに入射光よりずっと大きな電場(10³-10⁶倍)が形成されるメカニズムは、以下の通りである(文献FD2015, 表面科学2015, Anal Sci. 2017)。

(i)外部反射配置では、図14aに示すように、

①入射光がMNPのLSPを励起し、MNP内部に双極子形成する。②それが基板内に鏡像双極子が誘起する。③双極子-鏡像双極子間の相互作用で、ナノギャップに大きな電場形成。④それにより、吸着種のラマン散乱が増強される。(①は、エバネッセント波を生成するので、一部金属基板のPSPを励起する。)

(ii)全反射配置では、図14bに示すように、

①共鳴角での入射により、金属基板/媒質界面のPSP励起→②PSPの生成する金属基板表面近傍の増強電場が、MNPのLSP励起→③LSPの双極子が、基板内に鏡像双極子を誘起→④双極子-鏡像双極子相互作用、MNPのエバネッセント波による付加的なPSP励起などが繰り返され、ナノギャップに大きな電場増強。全反射配置では、計算でも実験でも、MNP粒子密度が小さい方が、より大きなナノギャップ電場を形成することが判明した。これは、PSP励起効率がより高いため(MNPが増えると、PSP電場がナノ粒子上方に散乱され、PSP励起効率が上がらない。粗い表面と同じように。極限的には、1個の金属ナノ粒子をプローブとするチップ増強ラマン配置で最も大きな電場増強を得られる)。

実際に、ギャップモード配置では、

1) 幅広い金属基板、非金属基板への適用:従来の粗さ金属表面のLSP-SERSでは利用できなかった幅色い基板上での高感度ラマンの実現

2) 逆配置ギャップモード:チップ非増強ラマンへの適用、白金・酸化チタンなどナノ粒子触媒への適用

3) ギャップモードの利用-1:溶液中の金属ナノ粒子の非可逆的光捕捉・固定

4) ギャップモードの利用-2:光触媒反応

参考文献:(14) M. Futamata, “Gap mode Raman spectroscopy” (to be published).

ギャップモードの実験配置

15.FDTD法とは

ナノ粒子/ナノギャップ/基板試料や金属コートあるなしのSiカンチレバー/ナノギャップ/基板試料などのナノギャップ近傍の電場強度分布の励起波長依存性を、FDTD法[15a]を用いて計算した。FDTD法は、ナノ構造体系に光照射したときのLSP共鳴励起やそれに伴う金属ナノ粒子表面付近の局所電場計算を行うために、一般的に用いられている数値計算法の一つである。多層系試料でも平坦な境界条件であれば,Maxwell方程式を解析的に解くことで,試料近傍の(光照射下の)電磁場が計算できる(例えばMie散乱理論やFresnel式)。しかし,ナノ構造体のように複雑な形状を持つ系では,解析的に解くことは原理的に困難である。そこで,一般にMaxwell方程式を数値計算で解く(微分方程式を差分方程式にして,空間時間発展的に電磁場を計算し,収束した定常解を得る)。FDTD法は,そのための1つの方法である。ナノ構造体の光学的・分光学的性質を解析するために,直接局所電磁場を知りたいが,そのような測定法はないので,数値計算による局所電場分布や遠方解(弾性散乱スペクトル,吸収スペクトル)の予測や解析が有効である(Fig. 15)。

参考文献: (15a) 宇野亨著「FDTD法による電磁会及びアンテナ解析」コロナ社,  b) Tafflove.

FDTD法とは

16.ナノ粒子形成 [16a]

Auナノコロイドの合成の物性は、19世紀半ばのFaradayに端を発する。孤立分散性や発色原理、散乱現象は、Tyndallを経て、Rayleighの理論研究に引き継がれている。合成法に関しては、20世紀後半のTurkevich及びFrensらのクエン酸還元法(粒径制御が容易であり、かつクエン酸が表面保護材として働き、水に安定に分散する)の開発が応用を促進した。尤も、SERSやプラズモニクスなど分光への本格的な利用は、20世紀末のナノテクノロジーの進展まで待たねばならなかった。現在では、結晶核生成と成長のそれぞれを精密に制御し、より大きな粒子が単に原子(分子、体積)当たりの表面積が小さいためにエネルギー的に安定であることによるOstwald-ripening(オストワルド熟成)を利用した粒径のそろった大きな粒子の成長や、ルイス塩基を有する界面活性剤等による成長途中のナノ粒子の保護による成長や凝集の抑制が行われる。生成後のナノ粒子の電気泳動、サイズ排除クロマトなどによるサイズ選別も可能である。また、形状制御に関しては、球状粒子だけでなく、八面体、立方体、ロッド、プレート状など種々の異方性を持ったナノ粒子が形成される(Fig. 16, [16a, 16b])。一般に金や銀などのようにfcc構造をとる金属の表面自由エネルギーは、{111}<{100}<{110}の順で大きいので、{111}面の露出が最大となる正八面体あるいは正四面体の構造になると予想される。実際には、表面積をより小さくして表面自由エネルギーを最小にするために球形に近い立方八面体に近い形状となる。単結晶成長させるためには、ポリビニルヒドリドン(PVP)の存在下、ポリエチレングリコール中(180℃)で硝酸銀を還元する方法がよく用いられる。これは、酸素による再酸化で不安定な多結晶を再溶解し、単結晶を成長させるものである。特定の結晶面に特異的に吸着するPVPのような物質を用いることで、{100}面のみからなるAg単結晶ナノキューブ等が形成される。

参考文献: (16a) 寺西利治編著「ナノコロイド」(ナノ学会編) 近代科学社, 第2章および引用文献. (16b) A. Abedini et al., Nano. Res. Lett. 2016, 11, 287.

ナノ粒子形成

17.金属ナノ粒子以外の金属ナノ構造体:金属薄膜、表面粗さを持つ金属ナノ構造体

真空蒸着で形成される金属薄膜は、厚さが例えば10 nmより小さなとき、不連続な島状膜となり、ナノ粒子の複合体または近接体とみなすことができる。また、金属厚膜でも電気化学条件下で、酸化還元を繰り返すことや、Ar+スパッタやイオンビーム照射により表面を粗すことで、島状膜と同様のナノ構造体を形成することができる。これらの場合、可視光照射により、金属島状膜固有の局在プラズモンが励起される。そのとき、避雷針効果や、近接効果により、シャープなエッジやナノギャップに巨大な電場が形成される。

最近は、より自由度の大きな金属ナノ構造体配列を形成するために、光リソグラフィとともに、電子ビームリソグラフィ(EBL)[17a]などが用いられている。これら光リソでは、基板上にポリマーレジストで薄膜を形成しておき、光照射するナノスケールでの構造の穴をあけたマスクを通してUV照射し、ポリマーの結合を切断する。またはEBL (リフト-オフ法)では、あらかじめシリコンウェハにレジストとして、PMMA等のポリマー薄膜を形成した後、設計したパタンに沿ってレーザ光または電子ビームを照射し、その部分のポリマーのC-Cなどの結合を切断する。その後の操作は両者で共通で、現像液として、結合を切断され小さな分子量となったポリマー分子を溶解する有機溶媒に、試料基板を浸漬・リンスすることで、設計パタン通りに、レジストを溶解する。そのあとで、試料基板に真空チャンバ内で金属薄膜を蒸着し、今度は残留するポリマーレジストをその上の金属薄膜ごと洗い流す(Fig. 17-1)。これにより、電子線を照射した部分にのみ金属ナノ構造体配列が残る。このEBLでは、幅広い形状を持つ金属ナノ構造体の2次元配列を容易に形成できるために、SERSの分析的な応用のために有効と考えられる。

実験的にも、金属ナノ粒子や金属薄膜に表面粗さを加えるとより大きな信号増強が得られている。ただし、金属ではエネルギー的に不安定であり、室温では、原子拡散のためにシャープなエッジ構造を保持することは困難と考えられている(«極低温では、そうした原子レベルで粗さを持った構造が保持され、固有の電子状態と合わせて、巨大なラマン信号増強を与えることが知られている。[17b])。一方、金属ナノ粒子は、後で示すように分析対象である分子との静電的およびvan der Waals相互作用を制御することで、近接させることで、実際に単一分子感度ラマン検出を行うことができる。

参考図書:(17a) R. F. Peters, L. Gutierrez-Rivera1, S. K. Dew, M. Stepanova, Journal of Visualized Experiments, 2015, 97, e52712. (17b) A. Otto, I Mrozek, H Grabhorn and W Akemann, J. Phys.: Condens. Matter 1992, 4 1143-1219.

金属ナノ構造体

18.水溶液中の銀薄膜の形状変化(Ostwald-ripening)とその抑制

原理的には当然のことでありながら、一般的にはあまり知られていない現象として、銀薄膜(特に、大小の粒子状に成長した島状膜)を純水に浸漬すると、それだけで時間の経過とともに形状が変化し、小さな粒子状構造の数が減り、大きな粒子状構造体がより多く成長する。これは、水溶液中の酸素による銀薄膜の酸化溶解と還元析出によるもの[18a-18c]である。バルク状態の銀に比べて、(特にナノスケールでの)小さなAgNPほど酸化電位が低い(Ag⁺/Ag⁰の還元電位EAg+/Ag0,l(arge) > EAg+/Ag0,s(mall))。一般に、固体表面から電子を1個奪うのに必要なエネルギー(仕事関数Wl>Ws)は、粒子サイズが小さいほど小さく、近傍に大きな粒子がありその酸化電位が、ナノ粒子が存在する環境の(酸化)電位(EO2/H2O)より低ければ、溶解生成したAg⁺は、大きな粒子表面で還元されうる(EO2/H2O> EAg⁺/Ag⁰,s)。ただし、EO2/H2O (+1.23-0.059×pH) > EAg+/Ag0,bulk (+0.80) > EAg+/Ag0,l > EAg+/Ag0,sなので、大きな粒子も次第に溶解する。金薄膜では、EAu+/Au0,bulk (+1.69) > EO2/H2Oなので、このようなことはない。

溶液中に塩化物等のイオンが存在すると、寄与する還元電位はEAgCl/Ag0 (=+0.25)となり、これはEAg+/Ag0よりも低いために、酸素による酸化溶解が起こり易くなる。

参考文献:(18a) P. L. Redmond, A. J. Hallock, L. E. Brus, Nano Lett. 2005, 5, 131-135. (18b) T. Yoshikawa, M. Futamata, to be published. (18c) シュライバーアトキンス「無機化学 (上・下)」東京化学同人、2017, 付録参照.

水溶液中の銀薄膜の形状変化

19.金属ナノ粒子・薄膜表面の修飾の必要性について

flocculation法では、分析対象化学種の電荷や構造に応じて、金属ナノ粒子表面を修飾する必要がある。例えば、クエン酸還元法で形成したas-prepared AuNP、 AgNP表面には、クエン酸が残留吸着しているため、負電荷を有している。これらのナノ粒子分散液に対イオンであるカチオンを添加すると、DLVO理論[19a]に基づいて、対イオンのナノ粒子表面付近への集合により反発が弱まり近接・凝集が起きる。この過程は、速度論的な過程なので、測定時間中に凝集してしまわない程度にイオン強度を調整すれば、近接状態を保持し、ナノ粒子間ギャップに強い電場を形成できる。凝集してしまうと、通常AgNPは部分的に融合し、デンドライト的な集合体となるため、吸着種のラマンスペクトルの評価が困難となる。

吸着の観点からは、as-prepared AuNP, AgNPの残留クエン酸を塩化物置換すると、ナノ粒子の負電荷はほとんど変わらず、クエン酸による立体障害を抑制できる。カチオン性チオールで修飾することで溶液中のアニオンの捕捉検出が可能となる。また、無極性チオール等で置換すると、静電反発が無いため、ナノ粒子はvan der Waals力によりすぐに凝集する。無極性でも、高分子で置換すると、高分子鎖の運動の為にナノ粒子は凝集しないことが知られている。

別の方法で形成した金属ナノ粒子について、例えば真空蒸着・スパッタで形成した基板上の微粒子は、真空チャンバ内の不純物の影響がない場合、AgNPでは単原子層程度の酸化膜が形成されている。AuNPでは酸化膜の影響はずっと小さい。ソリューションプラズマで形成した金ナノ粒子 (SP-AuNP)では、電解質を加える場合には特に、酸化膜の影響が見られる(AuOx)。その場合、分散液中のpHによりIEP(~3)<pHでは、AuO-による静電反発で孤立分散する一方、IEP>pHではAuOH隣凝集が起きる。さらに、クエン酸還元法で形成した金ナノ粒子(cit-AuNP)とは異なり、SP-AuNPはハロゲン化物による置換が起こりやすく、表面のAuOxがAu-Clに置換される。このため立体障害が抑制されるとともに、AuNPとの相互作用が弱い化学種に対する吸着性に違いが見られる。

溶液中の分析対象化学種を、金属ナノ粒子(MNP)に吸着させ、同時に近接状態を形成することで高感度ラマン分光するflocculation-SERS法では、このようなMNP表面の残留物を凝集しない程度に減らし、対象化学種が裸のMNP表面に吸着した状態を分析する必要がある。この手法に関しては、現在のところまだ十分確立されていない[19b]。

参考文献:(19a)J.N. イスラエルアチヴィリ,「分子間力と表面力 第3版」朝倉書店 2013.  (19b) M. Futamata, “Gap mode Raman spectroscopy” (to be published).

表面修飾の必要性

20.機能性ナノ粒子

Fe2O3, Fe3O4

機能性材料へのギャップモードの適用に関して、本研究室ではFe2O0ナノ粒子(Fe2O3-NP), Fe3O4-NPを取り上げた。Fe2O3は、不対電子を持つ原子の化合物(Fe2O3のFe³⁺は5個の不対電子(3d⁵)で、キュリー温度は950℃付近なので、室温ではa-Fe2O3 (ヘマタイト)は弱強磁性(Ferromagnetism)、g-Fe2O3 (マグヘマイト)はフェリ磁性である。Fe3O4はスピネル型構造で、Fe²⁺とFe³⁺を持つフェリ磁性体である。これらは、不対電子を持つ化学種や金属で見られる常磁性(M=χBでχ>0, M:磁化、B:外部磁場)とは異なり、外部磁場なしで物質内部の磁化の相互作用により磁気モーメント(M:磁化=単位体積当たりの磁気モーメント)が平行にそろったもの(すべて同じ向きにそろったものが強磁性で、一部が反対向きにそろったものがフェリ強磁性)である[20a]。Fe2O3やFe3O4に外部磁場をかけると、これらの結晶の磁気モーメントは、磁場の方向に向く(磁場を除いたときヒステリシスが残る)。粒子サイズが<10 nmでは、各粒子の磁性が1つの磁気モーメントであらわされ、粒子間の配列が起きる超常磁性が現れる。応用面では、Fe2O3などの磁性ナノ粒子は、高分子で修飾した上で生体内に導入し(in vivo)、超常磁性を利用して、AC磁場をかけて加熱し、腫瘍の破壊による治療(hyperthermia)に使うことができる(腫瘍細胞は正常細胞より加熱に弱い)に用いる[20b]。あるいは、1H(プロトン)などの磁気共鳴イメージング(MRI)における造影剤として、さらに磁性ナノ粒子自身を用いたイメージング(MPI)などで、磁性ナノ粒子が利用されている。また、体内の目的部位に治療薬を配達・開放するドラッグデリバリシステム(DDS)の一つとして、磁性ナノ粒子が注目されている[20c]。例えば腫瘍部位への抗がん剤投与のために、外部磁場で腫瘍等に磁性ナノ粒子を誘導・配達(delivery)し、その場で薬を開放(release)する。従来の癌細胞を認識する抗体などのリガンドを付与したキャリアでは、多様性・特異性の観点から限界があった。血中に投与されたナノ磁性粒子では、癌の種類によらず、外部磁場により誘導されるので、比較的低侵襲性で制御が容易な手法として注目されている[20b]。そのほかにも、Fe2O3はディーゼルエンジンからのNOxガス分解、CO酸化、過酸化水素分解、水の光分解など種々の反応の触媒としても知られている。そこで本研究室では、Fe2O3ナノ粒子(波長600 nmで誘電率eFe2O3=10.6)を用いた逆配置ギャップモードラマンの有効性を確かめた。その上で、水溶液中に分散したFe2O3-NPやFe3O4-NPを、TP/Ag基板試料下方から外部電磁石で磁場をかけて、TP表面に磁気的に捕捉し、ギャップモード配置を強制的に形成することで、ラマン信号の磁場を利用した増強効果を測定した。TP分子SAM膜に対して、Fe2O3-NPやFe3O4-NPを外部磁場で押しつけることによる、TP分子の配向性の変化についても検討を行っている。

参考文献:(20a) キッテル「固体物理学入門 第8版」丸善、第11-12章.  (20b) A. Akbarzadeh, M. Samiei, S. Davaran, Nano. Res. Lett. 2012, 7, 144.  (20c) 田上辰秋、尾関哲也、Organ Biology, 2017, 24, 54-60.

TiO2

酸化チタンは、白色塗料や化粧品であるが、水の光分解(本多-藤嶋効果=白金極と外部回路でつないだ酸化チタン電極を含む水溶液に紫外光を照射すると、水が光分解し、白金極に水素が、酸化チタン極に酸素が発生する現象)や、汚染物質やにおいのもとになる有機物の光酸化分解の触媒や、光照射による超親水性を利用した汚れ防止材料等としても広く利用されている[20d]。光触媒としては、結晶構造の異なるルチルやアナターゼのバンドギャップがいずれも3.2 eVより大きいため、紫外光照射により伝導帯に励起された電子が吸着種の還元に、価電子帯に残されたホールが吸着種の酸化に使われる。有機物酸化分解では、酸化-還元反応を効率的に行うために励起電子とホールの再結合を抑えること及び、バンドギャップを小さくして、よりエネルギーの低い可視光を利用できるようにするために、種々の検討が続けられている。結晶構造としては、ルチルがより安定相・より多く存在する相で、高温でアナターゼはルチルに相転移する。酸化チタンの格子振動のラマンスペクトルは、ルチルでは1A1g (実測波数610 cm⁻¹, Ti-O伸縮+変角振動) + 1B1g (145 cm⁻¹, 変角) + 1B2g + 1Eg (445 cm⁻¹, 変角振動)の4本がラマン活性。240 cm⁻¹に二次効果によるバンド(温度上昇とともに強度低下)[20e]。これに対して、アナターゼナノ粒子のラマンバンドは、1A1g (513 cm⁻¹弱)+2B1g (399弱, 519 cm⁻¹極弱)+3Eg (144強、197極弱、639中)に観測される[20f]。本研究室では、触媒性金属酸化物の例として、酸化チタンを取り上げた。ギャップモード的な見地からは、誘電率が6.8とかなり大きく、十分大きなラマン増強が期待できる。同時に、光触媒反応による吸着色素などの反応過程の解析への応用を考えて、メチレンブルー水溶液中に分散した酸化チタン試料について、紫外光照射の前後で、銀基板上に固定し、ギャップモードラマン測定を行った。また、TiO2-NP/メチレンブルー/銀基板の試料を調製し、空気中でUV光を照射しながら、ラマンスペクトルの時間変化を測定した。

参考文献:(20d) 佐藤しんり, 「光触媒とは何か」講談社ブルーバックスB1456. (20e) Y. Zhang, C. X. Harris, P. Wallenmeyer, J. Murowchick, X. Chen, J. Phys. Chem. C 2013, 117, 24015-24022. (20f) H. C. Choi, Y. M. Jung, S. B. Kim, Vibrational Spectrosc. 2005, 37, 33-38.

機能性ナノ粒子
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